私の両親はまだ70代前半ですが、ここ数年のあいだに、九死に一生を得る経験をそれぞれが2度経験しています。
そのあいだ何度も、「この2週間が山場」「どうなるかわからないから延命治療に対するご家族のご意見を…」「心臓が止まりました」など、こちらの方が心臓が止まりそうになる知らせを受けるのでした。
人生100年時代と言われていますが、それは決して「健康寿命」とイコール(=)ではないことは明らか。特に日本は長寿で知られていますが、それは皮肉にも延命技術ゆえだと、自然に沿った生き方を探求するほどに気づくのです。
そんなわけで、否が応でも身内の死を身近に感じた経験から、両親の死後についてつい想いを巡らせてしまうことに…。
さらに、長男である父が保持しているご先祖さまお墓も、どうするのか…。
これらについて、私の考え方と解決策を掘り下げたいと思います。
本人の希望を聞く
両親の死後、その亡骸(骨)をどう扱うか。
できれば生きていて、しかも頭がハッキリしているときに確認できるのが一番いい。私も一応確認しています。
これは死後「本人の想いを知っていたら…!」という後悔をあらかじめ防ぐものであり、深い悲しみに包まれた慌ただしい時期を、少しでも落ち着いて過ごせるための、今できる工夫だと言えます。
「海に撒いて欲しい」
両親の希望、とはいえ母親の方は私の父と離婚後に再婚しています。
彼女の死後は、彼女の旦那に任せるとして…。
父親は海への散骨を希望しています。
白い粉(砕けた骨)とはいえ、素人がどこででもばら撒いていいとは到底思えないので、やはり専門家の力を借りるのがいいのでしょうか。
私は父の希望を聞いてから、そういったサービスがあることを確認し、ホッと一安心したものです。
【参考ページ】小さなお墓KOBO
ミニマリストとして身内の死後とどう向き合うか
父が海洋散骨を希望していることはわかりました。
ただ彼の場合、彼がキープしているお墓があります。わざわざ本家のある遠方より、何年も前に引き上げて長男である自分の近くにとお墓を引っ越ししたのです(そのとき墓じまいという選択肢はなかったか…)。
管理費はかかるし、アクセスが微妙で誰も参らないし…。私は必要ないのではないか、と考えています。私がそのように気楽に考えられるようになったのは、このような考えに触れてから。
仏壇にもお墓の石にも、魂は宿らない!
特にこのサイトでは、サイキックのお坊さんが断言してくださっていますから。笑。私はこの記事を読んだとき、手放して大丈夫と心底思えるようになったのです。
私も目に見えない世界のことを探求して20年以上になりますが、上記の考えに同感し、そもそも仏壇や墓石そのものではなく、そこに対する遺された人々の想いを反映することで、念が宿っているように「体感している」に過ぎないのではないか、と。
ま、とはいえ墓じまい。ご先祖さまの遺骨もあるし、関わるほかの家族もいるため、私の一存では墓じまいできないのが現状でしょう。少なくとも今のところ…!
お墓の代わり⁉ 「ガラス製、手のひらサイズのお墓」
お墓ではなくても、遺骨を少し残すカタチで故人を身近に感じることはできます。
私がこの情報に出会ったとき、ある意味でホッとしたのを覚えています。「こういう方法もあったのか…!」と。笑
それがKOBOさんの、実用新案取得済の小さなお墓。
一つひとつ職人が手作りした、ガラス製の手のひらサイズのお墓です。
こんなに可愛くて、お墓なのか!と。
従来の墓石だと見るだけで気分が上がる、ということはなかなかありませんが、こちらのお墓はただ眺めていたい気分になるアートのようなデザインです。
手作りのぬくもりのある小さなお墓。大切な人の一部を保管するのに相応しいと思えますね。
単体だと30,000円~あり、デザインにより55,000円や63,000円などがあります。
ですがほかにも粉骨とのセットや、入りきらない分の海洋散骨のセットなどニーズに合わせたさまざまなプランが用意されています。
気になる方はぜひ参考にされてみてくださいね!
私も、例えば母の一部だけもらって飾ってもいいかな、なんて考えています。
デザインも豊富で、彼女の好きなドルフィンが彫られた「海(ブルー)」や、ゴールドが美しい「キララ雫」が候補かな、と考えています。
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今生きている命、それ以上に尊いものはありません。
でもその後も、回りの家族が心地よく関われる方法を、今のうちから探しておいてもいいかもしれませんね。
と、ゆるミニマリストでノマド スピリットの私は思うわけです。
【公式サイト】小さなお墓KOBO