お彼岸に、母方のお骨が眠る場所へ参ってきました。お墓ではなく、京都にある納骨堂のようなところで保管してもらっています。
弟も父も、今の旦那も一緒に行く人はいないようで、私が日本にいるときは私が、そうでないときはひとりで参っているそう。今までは毎年お盆で暑い中、最寄りの駅から坂道を上って通うのですが、とうとう昨年、彼女は「もう今年で最後かもしれない」と言い出しました。
だから今年、「お彼岸に参ろうと思うけど、行く?」と声がかかったときは嬉しくて。
さすがに、もうあの暑い中坂道を上がるのは、体力的に厳しいという彼女。「秋に差し掛かる頃なら行けそうな気がするから」と、この時期にお参りに行くことになったのです。
昨年、一瞬生死を彷徨ったため、あまり無理はできないと2人でゆっくり歩きます。
そして正面の入口ではなく、横の小径から上がりお花やお線香、ローソク などを販売している昔からやっている小さなお店で、必要なものを買うのはいつものこと。
「この、恒例のことをするのがいいねん」と母はにこにこ嬉しそう。
「お花だって家に咲いているものを持って来たっていい、でも来たらここで買うという恒例行事がなんかいいやん。今年も来れたなぁって思うから」と。
そんな言葉に心が温まるのと同時に、最近では切なさが込み上げてくる。
あと何回一緒に来られるだろう。
今年だって、本当はもうなかったかもしれなかった。でも来られた、それだけで幸せだなぁと感じられます。
母が70歳になったとき、私はオーストラリアに住んでいました。
日本には年に一度帰るようにしていましたが、それでも80まで生きたとしてあと10回しか会えない、と計算していたことを覚えています。結局、その後日本に拠点を移し、それも大阪と京都で割と頻繁に会う、ということになろうとはあの頃は思いもよらなかったのに…。苦笑
それでも70代半ばに差しかかり、あまり体の強くない母があとどれだけ生きられるかなんて本当にもうわからない。しかも去年のようなことがあると…。
母方のご先祖様に参るのは、もはや彼女だけではなく私にとっても恒例なのです。
少なくとも、来年は一緒に来られるといいね。
「今年は孫も生まれたし、もう少し長生きしてね」と言うと、「大きくなるまで生きるで!」と笑っている。
今の母にとって孫の成長が生きがいになっていて、このタイミングでやってきてくれた奇跡に感謝せずにはいられません。新しい命というのは、こんな風に、ただ生まれてきただけで人を励ます力があります。
おかげで私も叔母になり、両親は祖父母になりました。
家族はこうしてカタチを変えながら、続いていく。恒例のカタチもきっと変わっていくでしょう。その変化には胸がキュッとなるほど切ないものも、甥っ子の誕生のように嬉しいものもある。
でもやっぱり、そのすべてが尊く素晴らしいんだよな、と今年もまた「恒例」を終えた私は嬉しく思うのです。