エシカルノマドの指南書

世界放浪からオーストラリアへ移住後、物書きを生業とすべく帰国。自然に沿った暮らしをテーマに発信、今はエシカルとノマドの両立を目指す日々です

内側から世界を見る【エッセイ】

松葉杖生活になって、一瞬で世界は変わりました。

足を負傷した、つまり、動きに制限が生まれたその瞬間に。

 

私の世界の躍動感がいったん消えたとき、まず目の前がフォーカスされものすごく「今」にいる感覚を味わいました。

 

それから、一瞬で視点が変わりました。

まるでうさぎとかめの、うさぎからかめになった気分。

 

捻挫だか打撲だかまだわからない、ただの打撲であって欲しいけれど結構強く打ち付けたなぁ…。そう思ってびっこ引いて歩いていると、お年寄りばかりが目に入るように。笑

 

いや、いつも入ってるんですよ、住んでいる町には多いから。苦笑

でも「自分とは違うもの」という存在だった彼らと、同じペースで歩いている私。まるで彼らの一部のようになったのです、一瞬で!笑

 

そして道を歩く私を労ってくれるのは、すべからく「彼ら」だったのです。

だって彼らにはわかるんですよ、この辛さ、不自由さが。それはもう嫌というほどに。そしてそれを「歳だから仕方ない」と受け入れている。

もちろん私のは怪我、痛さの種類は違うでしょうけれど…。

 

まぁ、ちょっと嬉しそうではありましたね。向こうとて「な、大変やろ、わかるやろ」と言いたいような感じも。笑

 

話は少し逸れましたが、

 

でも本当に、そこはいつもと異なる違う世界のよう、流れる時間がまったく違いました。そして気づいたのですよ、あぁ、私また、かなりせっかちに生きていたな、と。その感覚は、例えるなら体の隅々まで意識が行き渡っていない、という感じ。

 

気持ちばかりが先走って、体がついて行かなかった。

そのことにものすごく納得したのでした。

 

それから引いたカードには、「静寂のなかで力を取り戻す」「その時間は十分与えられている」というものばかり(下記参照↓)。

natural-life-journey.hatenablog.com

 

こんなことを起こしてまで、私はまたひとりで静寂のなかにいる時間を作りたかったのだろうな。

「どうせ今動けないし」という理由はある意味で、私をとても楽にしてくれます。もちろん、これは期間限定であることが前提、あくまで自分の経験からしか語れません。

 

私は今、ここにいて、自分のなかの小さな窓から外の世界を見ている。

 

それ以上でも以下でもない。

 

自分の肉体、という器に入ってただ粛々とやることをやる。

外に手を伸ばさない、外に向けて行動しない、どこへも行かない、誰とも会わない。ゆったりとした流れに身を任せて…。そして私は、そういう時間が決して嫌ではありません。

 

こういうときはただ、内観が必要。

じゃなきゃ、こんなこと起こさないって!笑

 

自分の体にいることを味わう、体の隅々にちゃんと意識・エネルギーを行き届かせる。

 

制限ばかりではあるけれど、そんな豊かな日々を送っています。