エシカルノマドの指南書

世界放浪からオーストラリアへ移住後、物書きを生業とすべく帰国。自然に沿った暮らしをテーマに発信、今はエシカルとノマドの両立を目指す日々です

松葉杖で感じる、自然の優しさ【エッセイ】

ギブス&松葉づえ生活を更新中の私。

 

もう二週間以上経ちかなり慣れてはきたものの、体のバランスがおかしいなと感じる今日この頃。そりゃあ、そうですよね!歩いているときは、ずっと右足頼りで左足は浮かした状態だもの。松葉づえが面倒なときは、右足でケンケンして動いてます。苦笑

 

ここ数日、左の背筋が凝ってきた…。右足もパンパンな気が…。

あぁ、健やかさが、健康が恋しいー!

 

そんな日々のなか、晴れている日は近場の芝生を踏みしめてアーシング、日光浴、そして呼吸法(瞑想)をしています。朝活と呼ぶその活動が、私はとても好きになり、朝7時前には自然と目が覚めるように。笑

 

そして、先日ふと気づいたのです。松葉づえで芝生の上を歩いていたとき、自然の包み込むような優しさに…!

 

私が暮らしているのは、都市部の住宅街なのでどこもかしこもコンクリート。歩けども歩けどもコンクリートしかない、いわゆるコンクリートジャングルなので気づかなかったけれど。コンクリートを松葉づえでついた後に、芝生の上をついたとき、その明らかな違いに驚きました。

 

コンクリートはなんというかピーーンと張った感じ。断固としてこれ以上は曲がらないぞ、という反発があるのですが。

 

芝生は柔らかいじゅうたんのようで、力が分散されるというかいい具合に抜けるというか、それでいてぎゅっぎゅっと踏みしめて進むことができる感じ。

芝生の下にはもちろん土があり、その全てで優しく受け入れてくれる…。

 

わぁ、歩きやすい!と感動し、左足もそっとつきつつ、足の裏でその感触を贅沢に受け取りながら、しばし歩くことを楽しみました。まさに芝生でのリハビリですね。

 

「自然に沿った生き方」を発信してしばらく経ちますが、改めて自然の偉大さを確認するできごとでした。

 

自然であるということは素直で柔軟、自然は優しい。

 

これはきっと人にも言えることだなぁ、と。

コンクリートのように頑な人には、やはり相手も同様に頑なさが引き出されて反発し、自然の芝生のように柔軟だと相手も同様になりスムーズにいく。

だって私たちは皆が鏡であり、自分のなかの投影を相手に見ているだけだもの。

 

やっぱり私も、自然の一部のようでありたい。なにより自然と接していると気持ちだけでなく体まで、楽になるのだから。

松葉づえをつきながら、そんなことに気づきふと力がゆるむのでした。