以前、オーストラリアに戻りたかった話を書きました。
natural-life-journey.hatenablog.com
ですが思うのです。
きっと私は、あの頃の私とオーストラリアが恋しいのであって、今もまだ同じ熱量で想っているとは限らない、ということ。
あの頃、平凡な生活が一生続くかと思ったケアンズ時代も、今となってはパートナーと安定的に暮らせた幸せな記憶に。
本当にやりたいことで軌道に乗らず、生活費のべらぼうに高いシドニーで職が定まらず、そのフラストレーションで帰国を決めたシドニー だけれど。
最初の何年間、そのもどかしさを抱えつつも最高の日々を過ごしたんだ、ということ。
その渦中にいるときから、もうそれを失うときの切なさに胸を焼かれるほどに。
お腹の中から笑い、周りの人の笑顔や愛に支えられた日々でした。そして最後の一年に、そのフラストレーションが積もり、爆発し、帰国した。
でもおしなべてキラキラとした、エキサイティングな日々だったなぁ、と思うのです。
カフェの仕事は朝早く、ボスやわがままな常連にいちゃもんつけられたと言っては、同僚とこぼす時間も今となってはいとおしい。
二日酔いが激しく起き上がれないあほみたいな苦しさも、部屋の窓から庭に聞き耳を立てて好きな人がいるかなーっと探りを入れるドキドキも。笑
たくさん愛し愛され、そのときの仲間たちと一緒にぎゅうぎゅうに収まった写真や、かつてのボーイフレンドたちとの写真を見て、その甘美な記憶が瑞々しくよみがえる。
公私ともに綱渡りみたいな日々だったけれど、命の危機があるほどでもない。今思えば、それで十分だ。
一転してケアンズ の日々では、ひとりのパートナーと「日常」を何年も共にした。
小さい町のなかで私たちは家族だった。
私はオーストラリアのチェーンコーヒーショップで朝のヘッドバリスタ としていつもそこにいて、町の常連たちの顔とドリンクを覚えた。ケアンズだったからもちろん、膨大な数の観光客の相手もしたっけ。
そして元相方は無人島に観光客を連れて行くガイドだった。
仕事が早く終わる私が料理の担当で、彼は帰ってくるや「(目に見えないほど小さい)イルカンジクラゲにハネムーナーが刺されて大変だったんだよ!島にヘリ呼んだわ」などと、その日あった話を興奮気味に話してくれる。
休みの日にはグレートバリアリーフの島へ、年間パスで出かけては海に潜り、魚やタートルたちと泳いだ。サンゴ礁もタートルも私たちの日常だった。
平和だけど、今とは違う「誰か」のいる日常。
今からはまるで嘘みたいだけれど、そんな時代も生きたんだった。
それがすべてオーストラリアに詰まっている、だからこそ私は恋しいんじゃないかって。
そう思ったんですよね。なんて幸せな、記憶。
だから私は今もこうして生きていける。これほどの経験を経て濃縮したのが、今、この私なのだから。
最強じゃないかって。
もう二度と戻れないけれど、戻りたくない。
今の私で辿り着くところに、私は行きたいわ。