エシカルノマドの指南書

世界放浪からオーストラリアへ移住後、物書きを生業とすべく帰国。自然に沿った暮らしをテーマに発信、今はエシカルとノマドの両立を目指す日々です

ラティーナの主張♡ 好きであってもなくても男性の存在は必要⁉【エッセイ】

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私がアルゼンチンやチリ、イタリアなどラティーナたちと仲良かったのも、実は一緒に住んでいた時期があったからです。

巨大なシェアハウスのような、大学の寮のようなその建物の中でヨーロッパや南米の友人達と数年に渡り暮らしていました。

 

南米に2度行き、少しですが私がスペイン語 を理解することと、ちょうどその頃、アルゼンチンとオーストラリアがはじめてワーホリ協定を結び、アルゼンチン人がどっとオーストラリアにやってきた年とかで、さまざまな国籍の人がいる中、なぜか私はいつもラテン人ばかりに囲まれて暮らしていたのです。

 

ティーナたちと仲良い、ということはもちろんラティーノ(ラテン男子)たちとも仲良くなったということで、一つ屋根の下、年頃の男女(私は少し上ではあったけど)が一緒に暮らすということはそ・れ・ぞ・れに色々とありまして。

そうまぁ、それはもう色々と…!!苦笑

 

でね、その家を出てしばらくしてから、当時を共にしたラティーナたちとガールズトークをしたときにね、

 

「好きとか嫌いとかじゃなく、いつも寝られる相手は絶対必要!」と。

力強く言ったのは、10年以上パートナーシップを築き上げているチリ人の女性。

 

間違っても日本人が抱くセクシーとか、情熱的とか、そういうイメージではなく、元ジャーナリストでベジタリアンの、知性溢れるどちらかというとピュアな見た目の彼女です(↓)。

natural-life-journey.hatenablog.com

 

その場にいた別のアルゼンチン女性も ー例の家でイギリス人の彼と出会い事実婚状態だったのが破局して、それから割ととっかえひっかえですが(笑)、

 

「まぁ、そうよね、誰もいないなんて耐えられない。ずっとベッドでひとりなんてぞっとする!」と言うわけです。

 

例の家に住んでいた時、私にもカラフルで華やかな話が次から次へとあり、その一部始終をこうしてラティ-ナたちと共有していたので、彼女たちにとっても私は同じように続くと思ったのでしょうが、

 

「いやー、でも私は選びたいわ♡ 興味ない男と寝るくらいなら、ひとりで寝る方がベッドも広いし幸せ―!」と言ったのですが、まーったく賛同を得られず、でした。笑

 

本当にあの頃(家に住んでいたとき)は、まるでジャックポットの1等に当たり続けるくらいに見た目・性格ともにいい、スペック高めのメンズたちばかりがなぜか次から次へとアプローチをしてくれ、その中から私は自分好みを選べばいい、という大当たり時期だったのですよ♡笑

 

そんな彼らにたくさん想われ、好かれて、愛された日々でした♡

今思えば、男運、全部使い切っちゃったかな、とも思いますが…。笑。

 

とにかくそんな贅沢な時期を経て、もうあのレベルから落としたくない、となってしまい私もそのまま年齢を重ねてしまい、すべてがますます難しくなったのかもしれません。

 

そんなだから、私はひとりで寝る日々が続いていました。

 

で、上記の会話が繰り広げられたのです。

 

「いや、そうは言ってもmia、やっぱり男と肌触れ合ってたくない?」という彼女たちと、「しょうもないのと寝るくらいなら、ひとりがいいよ」と主張する私の、どこまでいっても平行線の会話。笑。

※言葉悪くてすみません!あくまでガールズトーク内のわかりやすい表現です

 

この辺はやはり、ラティーナと私(決して日本人を代表できる思考ではないかもー苦笑)ではまったく違うなーと痛感しました。

 

もちろん「愛し愛される関係」は別としてですよ!笑。それは別格の経験ですからね。

 

それが手に入らない場合の代替相手として彼女たちはその対象に対して、好きとか嫌いの感情はさほど大切ではないと言うのです。

 

もちろん愛の行為を行うことはもちろんですが、それができないよりベッドでひとりになる方が、みじめ。誰かにクッチャーロ(英語でスプーンともいい、スプーンが重なるように一緒に眠ること)されて眠りにつきたい、と。

 

価値観、ですね。

 

この「ベッドでひとりで眠る方がみじめ」という考えは、ヨーロッパ系の人々含め共通認識として持っている人、男女問わず多そうですね。何百回と聞かされましたから。

 

熱く火照った肌を触れ合わせ、(その場だけだとしても)愛の言葉を掛け合い、お互いを求めあう男女の存在だとして視線を交わす…。

すべてが終わっても、その余韻と肌の温もりを味わい尽くすのです。

 

そこで気持ちがなければ虚しいだけ、なんて野暮なことは言いません。だって、そのときは心からそう思うのですから、とな。笑

 

所説あります、でも真実はこの会話そのものが語っているように思います。

 

そんなわけで、ラティーナたちがいつまでも女らしく、妖艶でいる秘訣のひとつには、男性の存在があると改めて気づかされたのでした。