私は一時期、特にチリやアルゼンチンなど南米のラティーノ たちと一緒に暮らしていた時期がありました(→★)。
2段ベッドが2つ置かれた10畳にも満たないほど小さな部屋に、男女4人で暮らしたり、親友の女の子と2人で同じベッドで寝食を共にした濃密な日々…♡
朝、マテを回し飲むところから一日はスタートし、日がな一日バチャータやサルサなどラテン音楽がかかりっぱなし、夜はワインを開けておしゃべりに花を咲かせ気づけば踊っている!
そんな日々でした。
ひとりの時間をこよなく愛する私としては、こんな日常は極めて珍しい。でもそれができたのは、間違いなくそれが彼ら、だったからに他なりません。
とにかく、違和感なく合うんですよね、笑いのセンスが!
例えば世界を放浪しているとき、私は関西人代表として「笑いの文化」たるものを口酸っぱく伝えてきました。
◇ボケとツッコミの存在。
◆それらを駆使して繰り広げられる会話。
◇関西人は人を笑わせられるためなら自分の悲劇さえも面白可笑しく話す。
◆落ちがない話は予め、断ってから始める。
◇大阪の女子は「可愛いね」より「おもろい!」と褒められる方が嬉しい。
◆関西ではおもろい男は、モテる!
そして例外に洩れず彼らにも同じように、いかに自分たちが面白さに価値を見出しているかを語ると、こんな声が上がりました。
「あ、それコルドバ人と一緒だわ!」
するとそうだそうだと、満場一致で同意見になりました。
そこで日・南米の私たちの認識は、
日本には大阪があるように、アルゼンチンにはコルドバがある!
というところで擦り合わさったのでした。
私と半年近く寝食を共にした親友がコルドバ出身と聞き、深く納得したものです。
ちなみにコルドバとはアルゼンチンの第二の都市で、そういうところも日本の第二の都市である大阪にそっくりです。
アルゼンチン人の笑いのセンスには、いつも感心させられるものがあります。「何か言ったら、ただでは返さない」、のようなところも関西人にそっくりです。
彼らの母国語でない英語のときでさえ、涙が出るほど面白いので、スペイン語だと、最強だろうと推測します。
南米を2度訪れ、少しは勉強したので私も多少理解はできますが、そのジョークや笑いのやり取りまで聞き取れたらどれほど楽しいだろう!ともどかしく思っていました。
ただもちろん、笑いの種類は多少違います。
それはこんな風です。例えばブエノスアイレス 出身の女の子。
レストランのウェイトレスの面接で、「お皿何枚運べますか?」と聞かれ、ここでは間違いなく飲食業の常識的に、いや人の物理的な感覚的にも、「3、4枚」という答えを期待されていたと思うのですが。
経験のなかった彼女、思わず…、
「8枚、8枚持てます!」
その場で「やってみて。」と言われなかっただけラッキーだったのでしょう。ただ、失笑をもらった後、面接には落ちました。
「8枚てどうやんのよ?」「頭に乗せるんかーい」と仲間に散々突っ込まれ、この話は「オチョプラテス(8枚の皿)」というネタになったのでした。
また別のある日は、
同様レストランの面接で、「プロフェッショナルな服装で来て下さい」と言われ、今度こそはと張り切って、当時飲食業をしていた私にまで黒シャツ借りて、すっかりウェイトレス仕様になりいざ出陣!
…ですが、帰って来た彼女はこう言うんですよ。
「mia…、レストランのマーケテイングの仕事やった…」、と。
「皆オフィス仕様のプロフェッショナルな格好で、私だけ、ウェイトレスのプロフェッショナルだった…」…!!!
もう、私は面接決まってから彼女が準備する過程まで全部見ていたから、その結果を聞いて笑いが込み上げて仕方なかったですよ!無職を更新し続ける彼女には、悪いですが。
ほかにも、
ビキニ着てプールサイドでカクテルでも、とリゾート気分で行ったプールが、ゴーグルとキャップ着用の50mの競泳用のスイミングプールだったりとか…。
もうそういう突っ込みどころ満載なネタを、飽きることなく彼女は日々作ってくるわけです。究極に、天然な彼女。そしてそんな彼女の話に周りが突っ込む、という図式です。
さらにある日にはこんな出来事も。
この日は仲間のひとりの誕生日ということで、主役の男の子も交えてケーキを作ることになったのですよ。
ただこのケーキひとつ焼くのにね、あらゆるネタ、コント、全部やっちゃう!みたいな。歌うわ、踊るわ、ビデオ撮影入るわ…。なにが楽しくて…なんて愚問です。その空気全てで面白いんです。
もう、まじでなんなんこの子ら、最高やん!心底思いましたね。
彼らと過ごす日常はイチイチが面白い。どんな平凡な出来事も、笑いに変わるなんて素敵過ぎます。
同じ時間を過ごすなら、一瞬でも多く笑いたいじゃないですか。そう常々思ってる私にとって、彼らと過ごす時間はまさにそれ!
私はその前後もフランス人、イタリア人、ドイツ人と集中的に暮らした日々がありますが後にも先にもあれほど、自分の肌のようにその空気感が馴染んだ仲間は、彼らだけかもしれません。
今でもときどき思い出します。何がそんなに可笑しかったのか全部は覚えていないけれど、とにかく毎日お腹を抱えて笑っていた幸運な日々を。
ムチャスグラッシアス、ミ・アミーゴス!Xx