「鴨川/賀茂川 」が日常にある暮らしに、心から憧れます。
朝昼晩、とその間の時間。
春夏秋冬、とその間の季節。
人々の日常に寄り添って、ただそこにある。自然の営みに任せて、朝陽や夕陽に染まってみたり、快晴の日は真っ青に見え、また夜の暗闇を映しこんだり…。
その周りで人々は、思い思いに過ごしている。鴨川お決まり、の風景です。
川辺をジョギングする人、犬の散歩をする人、自転車で颯爽と過ぎ去っていく外国人、コンビニで買ったおにぎりとコーヒーでランチするサラリーマンらしき人、愛を囁き合う幸せな恋人たち、ピクニックをするファミリー…。
享受しているものの偉大さに、あまりにさりげな過ぎて気付かないかもしれません。わざわざ足を運ばなくとも、いつかはその流れに辿り着く、その絶対的な安心感にも。
先日、京都でのお仕事が終わって、心地良い疲れと軽い人酔いを感じていました。
もちろんそのまま電車に飛び乗って帰っても良かったのだけれど、無意識に足が鴨川を目指していたようです。気が付くと、川縁に座っていました。
四条河原町より少し離れた場所だったためか、人も少なく静か。そのため川のせせらぎがシャラシャラ…と聞こえてきます。目を瞑って、深呼吸。瞼を通して、川面に反射した陽の光もキラキラと伝わってきます。その満ちてくる感覚たるや…!
人々のあらゆる雑念や目的を飲み込み消化してもなお、際限なく返してくれるものがある、鴨川のふとっぱら具合。そんな存在が街の中心にある京都はきっと、常に流動的に何かを大きく排出し続けてくれている気がします。
人の疲労、感情、滞り、そんなものまで全てすべて。そしてその手放した分だけ、なにか良きもので埋め尽くされていく。だからこそ、京都という街の中ではいつも、清々しさ瑞々しさに、触れることができるのだと思います。
あ、気が付いたのだけど、人々の日常に寄り添ってそこにある、ではなく。人々が、鴨川の日常にただ寄り添っている、ということ。
逆、でしたね。偉大な自然さま♡。失礼しました。笑。