エシカルノマドの指南書

世界放浪からオーストラリアへ移住後、物書きを生業とすべく帰国。自然に沿った暮らしをテーマに発信、今はエシカルとノマドの両立を目指す日々です

みかん屋さんと郷愁【エッセイ】

テクノロジー ばかりが発展している時代に、人と人との関わりに、なんと癒されるのだろうと思うことがたびたび、あります。

 

ある日、最寄り駅から家まで歩いて帰っているときに、一軒家のガレージを改装して直送フルーツを売っているお店がありました。まずそれだけで、ザ・昭和!私の幼少期の頃にはもっとあったよなーという、激しい懐かしさに包まれました。

 

利便性や効率ばかりが重要視される時代に、こんなアナログで効率の悪そうな商売は、なかなか成り立たないでしょう。さらに最近は治安の面でも色々懸念事項もあって、こんな風な、大らかさがまかり通らなくなってきているように感じます。

 

プラスチックのカゴに盛られて並んでいたのは、和歌山の産地直送ミカンでした。

3から5つくらいがひとつの袋に入って「200円」と、手書きの値段がつけられています。商品はすべて200円とあまりに安い。きっと、兼業でほかにも何かお仕事をされているのかもしれないなぁと、勝手な想像をしつつ…。

 

思わず立ち止まって、「ひとつください」。するとおじさんがよっこら店頭に出てきて、「どれがいいかな?」。

効率の良さばかりに目が行きがちな、現代人だったらきっと、(どれでも一緒でしょ)と適当に手に取ってしまいそうですが、私はそこで瞬時に癒されてしまい、見た目どれも同じような袋をひとつずつ見て、あれかなこれかな、と選びました。

 

その小さな時間の、可愛らしく楽しかったこと…!

 

そして選んだのは比較的大きめのミカンが入った袋で、それを見ておじさんが「大きくても甘いよ!」と笑顔で言ってくれたこと。もうそれだけできっと、そのミカンは魔法にかかったほど甘いんだと信じられました。

実際、そのミカンは一粒一粒が詰まっていて甘くて、きっと大切に育てられたミカンだろうと思います。

 

別の日にまたその道を通り、きっとおじさんは私のことを覚えていたわけじゃないだろうけど、また些細なやり取りがありました。お会計の際におじさんが、「もう、ミカンは終わりやなぁ。」と、少しだけ寂しそうに。私も「次はなにが来るんですか?」と聞いて、会話を楽しみながらその、終わりかけの時期のミカンを一袋選びました。

もちろんそのミカンも、しっかりと甘くそして、おじさんとのやり取りのように懐かしい味がしました。

 

なんの変哲もない日常の、ただそれだけの話です。

 

でもしばらく海外にいて、そのたった10年ほどの間に世界は、急激にテクノロジーが発達しました。そしてその変化を海外で体験した私にとって、日本のその変化の前を感じられる瞬間というのは、何物にも代えがたい輝きを持っているのだということ。

こういう些細なやり取りこそが、日常を豊かにするのだということに気がついたのでした。

 

利便性ばかりを求めて、何でもオンラインで完結してしまう今の時代に、私は自分なりにこの人間くさいやり取りや営みを、大切にしたいと感じるのです。