よくけがや病気をした人が「健康は当たり前じゃないって気づいた、感謝しなきゃ」っていう表現がありますよね。とても尊い気づき、のように使われますが…。
感謝自体は素晴らしい。でもある日、ふとその表現に違和感を感じたのです。
「健康こそが当たり前」でいい、って!
つまり健康が「大前提」で、例えば今の私のように足を負傷している状態が、イレギュラーだっていうこと。その視点になると、健康との同調がより強化するイメージができたのですよ。前提を決めているから、体はそちらに戻ろうとするのです。
地球上の体は確かに複雑だけれど、完璧に働いている。いつだってより良くなろうとするからこそ、さまざまな症状でバランスを取っているのだから。
それ自体がどれほどの奇跡かってこと!そんな奇跡を、私たちは誰でもすでに体に備えているんですよ。つまり、毎日奇跡を起こしている。それに気づいて、「あぁ、なんて幸せ、感謝!」となった。なんだか逆説的ですが。笑
「けがや病気をして初めて健康が当たり前じゃないと気づいた」が、覆える経験に…。見え方が反転しましたね、面白かったなぁ!
こんな風に違和感の奥にこそ、自分にとっての真実が隠れていることがよくあります。
すっと入ってこない、なんとなくしっくりこない、それは真実ではないからかもしれませんね。真実は物理的な事実とは、また違う、その人にとっての真実です。
だからやっぱり、自分で設定してもいいのだと。
「私の世界は私のルール」で!
皆さんは、どんなルール(前提)で今日を過ごしますか。
※先天的な体を否定するものでは全くありません、あしからず