エシカルノマドの指南書

世界放浪からオーストラリアへ移住後、物書きを生業とすべく帰国。自然に沿った暮らしをテーマに発信、今はエシカルとノマドの両立を目指す日々です

愛あるコミュニケーションは、目を見て心をオープンするところから【エッセイ】

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例え、AIやオンラインの更なる発展によって、多くの場面で対面する機会がなくなったとしても…。

いやそんな時代にこそ、私たちひとりひとりのコミュニケーション能力が問われてくると思います。

 

そして日本人はとってもシャイ。これはどうしようもないほどに、シャイ。笑(まとめてごめんね、もちろん「そうじゃない人」が一定数いるのは大前提です)

 

以前、オーストラリアの観光リゾート地、ケアンズのカフェで働いていたとき、海と公園を臨みメインストリートに位置したその店には、たくさんの日本人も訪れました。

 

私はバリスタなので定位置はコーヒーマシンの後ろだったのですが、隣でレジ対応をしているオージー たちがやたらゆっくり大きな声で話すとき、カウンター越しには決まって笑顔のない、もしくは困った顔の日本人がいました。

 

で、オージーが私に助けを求めるのですが、私が日本語で対応したからといって、彼らの持つ雰囲気はあまり変わらず。

 

良くも悪くも感情が揺れない(ある意味すごい)!笑

 

そして驚くのが、目を見て話せない日本人のなんと多いことか!ここでかつての職場での愚痴が言いたいわけじゃないので、このくらいにして…。

 

ただ興味深いのが、やはりだんとつノリが違うのが「大阪人」だったんですよね。

これもどうしようもないほどに。笑

 

なぜなら彼ら、英語わからなくても大阪弁ジェスチャーで通してきますからね。そしてカフェでの注文くらいなら、それでもなんとかなるもので…。

 

これは同郷愛ゆえに言ってるだけでなく、しっかり目を見て心を開いたこういうコミュニケーション能力って強いんですよ!

 

そして温かい、愛があります。そこには笑いが生まれ、心が通うなにかがあります。

 

私自身「大阪人」に加えて、旅のあいだにコミュニケーション能力に磨きをかけてきました。

 

心を閉ざしたままではいられないような状況に何度もぶち当たり、もちろんスルーする人もいるでしょうが、胸の内を伝えずにはいられない私、何度も現地人と口論になったりしたものです。トホ

 

で・す・が!

 

その都度、新しい発見があり新しい価値観が生まれました。その国と、その国の人々との距離がぐんと近くなる経験も一度や二度ではなく…。

 

例えば、ぼられていると思った旅行代理店と言い合いになり、こちらとしては喧嘩を吹っかけるつもりじゃなくって、あくまで気持ちを伝えることを目的として、ね。

 

「旅行者として払うべきものは払うけれど、足元見られて不正な料金払うのは納得いかない。いいものにはチップを払うし、それは自分で決めたい」

そのようなことを目を見て心を開いて伝えるんですけど、やっぱりパワーかかります。言われ値を払う方がずっと楽!でも旅が長くなりそういう諸々にうんざりしていたからこそ、言わずにはいられない状況ってあるんですよね。

 

でも結局、このときの旅行代理店のスタッフとは打ち解けて、なんとこの日の夜、ローカルしか集わないクラブ(?)に連れて行ってもらいました。笑

そこは10~70代までの幅広い年齢層のペルー人たちが、ラテン音楽を楽しむ夜の社交場。こんな経験も、旅行者と旅行代理店という枠をコミュニケーションの力でひょいと乗り越えた先に見えた景色、経験なんだということ。

こういう経験を、私は旅のあいだに何度もしました。

 

ただのクレームではなく、ちゃんと腹割って話したからこそだなぁ、と我ながら思います。その違いってね、発している方もわかるし、受け取る方もわかるんですよ。瞬時に、そこに愛があるかないかって。

 

なにも無理して優しくなろうとして「相手のために」、っていうんじゃなくていい。ただ自分の本質からぶれない発信をすることが大切なんだとうこと。

本質は愛ですからね、そこにネガティブなものはないです、本来。

 

だから発する言葉以上に、その言葉に乗せる感情に心を配りたいって思います。

そしてそれを期待して私がそうするわけじゃないですが、こちらが心を開くとほとんどの割合で、相手も同じように返してくれます。

 

「あれ、ここまで話すつもりじゃなかったのに」と言われた経験、ありませんか。それってきっと、あなたが相手の心までパカーンと開いちゃったからじゃないかしら、と思うのです。

 

そういうコミュニケーションが取れる人が増えると、世界はもっと楽しくもっと住みやすくなると思います。もちろん選ぶのはその人の自由意志ですが、私はそんな愛ある軽やかな世界の住人でありたいと思いますよ。