エシカルノマドの指南書

世界放浪からオーストラリアへ移住後、物書きを生業とすべく帰国。自然に沿った暮らしをテーマに発信、今はエシカルとノマドの両立を目指す日々です

貸しっぱなしで、与えっぱなしで、忘れている【エッセイ】

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「貸した方は覚えてないけど、借りた方は覚えている」

 

先日、気の置けない旧友たちと話をしていて、そういう話題になりました。

 

そのうちのひとりと私は、以前一緒に南米を旅行したことがあり、しかも私のカードが原因不明のエラーで使用不可能。困り果てていたら、彼女がさらっと「いつでもいいで」と、キャッシュを貸してくれました。

 

旅といえばいつもひとりだったし、普段あまり人に頼ることができない私ですが、彼女のあまりに自然な素振りに、気負うことなくありがたく借りることができました。「そんなときのための、旅仲間やん!」と彼女は、ニコニコしていました。その笑顔がどれほど心強かったか、彼女は知る由もなかったでしょう。

 

私はちょうど、彼女と南米のウユニという村で待ち合わせをする前に、ひとりで旅していたブラジルで一番最初に使った空港の、しかもナショナルバンクのATMでスキミングされ、その旅全体の金運がもう踏んだり蹴ったりだったのですから…。苦笑

 

とにかく私は借りた金額を目立つところにメモし、国を跨いでから使ったATMで無事引き出し、旅の途中で彼女に返済できてほっとした記憶があります。

 

 

そして先日その話を持ち出すと、当の本人は「あぁ、そんなこともあったっけ!笑」という調子。

 

すっかり忘れているくらいの、小さなことだったのかもしれません。でも彼女のしてくれたその小さなことは、私の心をぽっと温め包み込んでくれたこと。さらには、きっとこれからも彼女を印象づけるできごととして、私の記憶に残り続けるんだろうな、と思いました。

 

 

さらに、もうひとりの旧友とのエピソードがあります。

 

彼女とは、私がオーストラリアのケアンズに住んでいた際、彼女が訪ねて来てくれて一緒に小旅行をしたことがあります。プライベートに関わることなので詳しくは書きませんが、このとき彼女は人生の中でも少し、落ちていた時期でした。

 

私も私でその頃、事実婚 状態だった彼と良くも悪くもいつも何かがあり、まったく幸先がわからないような日々を送っていました。でも単純に、彼女が来てくれることが嬉しくて、「ホワイトヘブンビーチ」という世にも美しいビーチへ出かけたことも、素敵な思い出として覚えています。

 

この旅行などが話題に上るたびに、彼女はいつも「あのときは本当に助けられた」と言ってくれます。「miaもmiaで色々あったと思うけど、私と一緒にあの時間を過ごしてくれたことが、嬉しかった」と。

 

それを聞くたびに、正直ちょっと恐縮してしまいます。あの、素晴らしい自然に包まれた女2人旅行の裏で、きっと彼女は彼女の闇と向き合っていたんだろうな、と気づかされたのです。

私はそこまで汲んであげられた自覚はないし、ただ大好きな旧友と一緒に楽しい時間を過ごしたかった、それだけです。

 

だけどそれが、彼女にとっては嬉しかった記憶として残っているということ。私は無自覚だったとしても、彼女を想って過ごした時間が、このように彼女の中に刻まれたとしたら、それほど嬉しいことはありません。

 

 

そしてこの、「貸した方は覚えてないけど、借りた方は覚えている」です。

 

してもらった方は、記憶に残るんですよね、だって感謝しているから。

そして、貸した方が忘れている、という関係性もまた素晴らしい。だって見返りのある関係だったら、きっとこんなに続かない。なんかね、愛だなぁって。照。私だけが思っていることだとしても、そういう関係性を築かせてくれた彼女たちに、感謝です。

 

貸しっぱなしで、与えっぱなしで、忘れている。

 

そんな女性になりたいと思います。彼女たちとはできても、見ず知らずの人とはなかなかできないでしょう。苦笑。ほかの友人でも心中は同じではないかもしれない。それでも、そうありたいと思います。

 

「Give and give」の与えっぱなし精神で!

 

無条件にそんな風にいられたら、しかも、さらりと。それができるようになると、その頃には見える世界も色々変わってくるんじゃないかな、とさえ感じています。