朝起きて一番に流れてきた、ウィリム・レーネン氏のツイート。
あなたに最適であれば、それを選択すればいいのです。人に理解してもらおう、わかってもらおうと一生懸命に説明するのは時間とエネルギーの無駄です。理解してもらおう、わかってもらおうと思わなければ、あなたの人生はもっと楽にシンプルになります。あなたがあなたを理解していればいいだけです
— ウィリアム・レーネン (@williamrainen) June 15, 2019
このツイートのおかげで、朝から気づきと癒しをもらいました。
自分の選択を人にわかってもらおうとしていること自体が、人にエネルギーを明け渡しているだなんて。必死で説明している時点で、本当の自分から離れていっているのだ、ということに気づき目からウロコ!
だからあんなにしんどかったんだ、消耗して疲弊していたんだ、と同時に納得もしたのです。
私の人生は自分で意識を持って生きるようになってから、日本にいることはほとんどありませんでした。そしてそんな私が日本にいるとき、人々はいつも「なんで、なんで日本にいるの?」「今は何やっているの」ととにかく質問を浴びせられることが多く…。
自分の中ではいつも納得する理由があったし、筋だってちゃんと通っていました。
でも私以外の人から見ると、私は“いつもふわふわと遊びまわっている”ように見えたのでしょう。その質問の真意は、「そんなあなたが日本に、なぜ?何のために?」という好奇の目が入り混じっているのを感じていました。
2012年あたりから私は、心から好きなことを好きな場所でして暮らしたい、“好きだけで生きたい!”という欲に抗えなくなってきました。
結果、5年間ほど事実婚関係にあった男性との別れを選びました。
さらに2015年あたりからは、オーストラリアでの職場が突如経営破綻したり、そこから転々とするもどの職場ともまったくうまくいかず(これは私には珍しい現象)、これは本気で“好きでキャリアをつける”ってことだな、と。
結果、あれほど愛していたシドニーの街を離れ、日本でその業界の波に揉まれる覚悟で帰って来ました。
そこからもシドニーと日本を行ったり来たり、だけれどもどうしても日本に居る流れなので今、日本で暮らしています。
表面の線だけなぞるとこんな風だから、それを聞かされた周りは理解ができない、という顔をしました。最初の頃は、そのつどわかってもらおうと説明をしていたっけ。私の数少ない理解者、友人だから。「私はほら、こんなにちゃんと考えているんだよ」って…。
自分さえわかっていればいいことなのに、人はやはり人に理解を示して欲しいのですね、特に身近な人には。
好きな場所(=オーストラリア)で、好きなこと(=書いて発信/表現する)をしたい、と。
どんな変化のときにあっても私の中での優先順位は、これ。
まったくぶれていなかったのだけれど、そのために気づいて行動する過程で、拠点が転々としていたのでなかなか理解されなかったのです。
そのうち私は人に説明することを諦めました、さっきも書いたけれどその行為自体があまりに、ストレスであり消耗したからです。そしてそのうち、元から少なかった“友人”たちは、さらに減っていきました。笑
けれど“友人”が減っていくほどに、私は自分との繋がりを取り戻していく気がしたのです。
今考えると、余計なエネルギーを漏らさなくなったことで、自分にとって正しいことにそれを使えるようになったからだと思います。
おかげで自分の内側から、ひたひたとパワーで満たされていくようなのでした。
そして一旦、好きなことに身を投じてその道を歩き出したことで、さらに深めたいテーマやステージが見えはじめて来ました。これは一度ちゃんと、“好きなこと”に向き合わなければ到達しなかった場所、なのです。
自分のエネルギーを守ることの大切さ、身をもって感じています。
それが例え家族やパートナー、親友だったとしても、相手がどう思うかを考えて行動しているうちは、本当の自分から離れてしまっているのです。
大切な人だからこそ、その線引きは簡単ではないように感じるかもしれません。
それでも自分の生き易さ、また自分を内側から満たしていくために、私はこれからますます迷うことなく自分軸で生きたいと心に誓うのでした。