エシカルノマドの指南書

世界放浪からオーストラリアへ移住後、物書きを生業とすべく帰国。自然に沿った暮らしをテーマに発信、今はエシカルとノマドの両立を目指す日々です

カオスな世界のなかで蓮の花のように生きたい【エッセイ】

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外の世界はますますカオスを極めています。

 

ありもしないものを作り上げて、人々の恐怖をあおり、日々目の見えないものから守ることを強要される日々。

 

この世界の流れが向かうところを、だいたいわかっていると、今社会で行われていることの滑稽さと、その意図がよぉくわかります。

 

今、国が積極的に進めることにはすべて裏があります。

わかっていても、いやわかっているからこそもううんざりなのです。

 

細かい情報を逐一追いかけることはしなくなりました。そこには絶妙なバランスでデマなども交じっていて、すべてを鵜呑みにするのは危険だからです。

 

それにあまりそれらの情報に頭を突っ込み過ぎると、あまりに壮大な恐ろしい計画に、今テレビで煽られているものとは比にならない恐怖にさいなまれそうになるからです。

 

あくまで俯瞰でものごとを見ること。

 

そしてやはり、すべてはエネルギーです。

 

そして今目の前に起きている現実(のように見える)世界は、今までの自分の波動で創り上げた仮想現実。

 

つまり過去の波動の、結果。だからこれからを変えたければ今の波動に注力する、しかないんです。

 

このような状況で思い浮かぶのは、蓮の花。

泥の中であれほどの花を咲かせる「泥中の蓮」。

 

「いくら汚れた環境や世界に身を置いても決して染まらず、清く生きること」。

 

色々な状況に言い換えられますが、今まさにそのような生き方が求められる気がします。

 

外側で何が起きていても、影響されないことの大切さ。

 

それはすべて、波動をコントロールすることで可能になります。

 

目の前の現実や人はコントロールできませんが、自分の波動はコントロールできます。

 

2020年、私にとっては怒涛の一年でした。

でもそれはより自分次第な部分もあり、かなりいい感じにピンチをチャンスに変えてきた自負があります。

 

で、2021年。

 

あぁそうか、あの過酷な日々は、その後のさらに過酷な日々を乗り越えるための訓練だったのかもーと思うのです。笑

 

いまだかつて経験したことのないことが、誰の身にも起きています。

 

今起きていることの本質に気づかない人は、それはそれで幸せかもしれないとさえ思います。予想よりもとんでもないことがこんなに普通に起きているのだから。

 

私にとって一番辛いと感じていることは、行動や表現の制限です。

私の魂は自由そのもの。好きなときに好きな場所へ行く、発言したいことを瞬時に発言する。

 

今、行動制限が誰の目にも明らかで、SNSなどで発言が勝手に消される、アカウントが停止になったりする。

 

つまり知らないうちに、私たちは管理されているのです。私たちの多くがあれほど嫌悪する近所のC国への道を歩んでいるのですよ、確実に。

 

でもそれは個々の波動次第で突き抜けることができる、と考えています。

 

現実がどうこう、というより自分の世界がそれらの制限に触れなくなる、自分がやろうとすることにストップが掛からなくなる、というような起き方で。

 

 

さらにこの狂った世界のなかで、それでも素晴らしいこともあります。

 

たくさんの素晴らしい仲間と繋がったことです♡。

 

スピリチュアルな言葉を借りるなら、グループソウル的な。

 

この人たちとのポジティブな共振、これから向かう世界に一緒にワクワクすることで、そちらの世界にナビを設定し直すのが簡単になっています。

 

そんなときにやっぱり思うのです。

 

私が目指している生き方は、まさに「泥中の蓮」だと。

 

外の世界が泥水でも、私にはコントロールできる波動というシステムと、上を見て共振し合える仲間という栄養があるじゃないって!

 

皆さんの現実は、今どういう風に映っていますか。それは皆さんの波動の世界。だからこそ、いつでもそこから抜けることができます。

 

蓮の花のように、花を咲かせることだってできる♡。

 

いつまでもこのカオスは続きません。

始まりがあれば終わりがあります。

 

そのときまで、この世界すら楽しみましょう。

 

気づけばきっと、今までより数段パワーアップした自分になっているはず!

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f:id:miaE:20210620115345j:plain夏至の前日、エネルギーが降り注ぐ日に。